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大阪高等裁判所 昭和38年(ネ)464号 判決

理由

一、(証拠)を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  加藤実は控訴会社で会計係として経理事務一般を担当していたが、加藤には控訴会社代表取締役高橋健に代つて手形を振り出す権限はなく、既に支払の決定したものにつき手形、小切手用紙に所要事項を記載し右代表取締役の決裁にもとづき代表取締役の印鑑を押してこれを発行する手続を担当していた。しかし、控訴会社代表取締役高橋健が出張不在のときには、緊急な支払にそなえ、取引銀行の預金口座から現金を引き出すために、右代表取締役から代表取締役の印鑑を預けられて控訴会社名義で小切手を振り出す権限を与えられていた。

(二)  控訴会社代表取締役高橋健は昭和三五年四月二〇日頃から約一週間にわたり佐世保市に出張するに際し、右加藤に対し前記のような趣旨で代表取締役の印鑑を預けていたところ、その出張不在中の同月二五日中国工業株式会社の取締役中尾吉次は、右会社の運営資金を得るため控訴会社を訪れ、右加藤に対し控訴会社名義の金額四〇〇、〇〇〇円の融通手形の振出を懇請したので、加藤は右申入れを承諾し、中尾吉次の面前で前記のように代表取締役高橋健から預かつていた同代表取締役の印鑑ならびに常時保管中の控訴会社記名印、社印を使用して控訴会社代表取締役高橋健の記名捺印を代行する方法で前同日振出人控訴会社名義の金額四〇〇、〇〇〇円、満期同年七月三一日支払地、振出地とも大阪市、支払場所株式会社住友銀行大阪駅前支店、受取人中国工業株式会社とする本件約束手形一通(甲第一号証)を作成(なお右手形の金額欄の右肩にその作成責任者を示す趣旨で加藤の印を押した。)して中尾吉次に交付し、中尾はその見返り手形として中国工業株式会社振出の金額右手形と同額、満期同年七月二六日、受取人控訴会社とする約束手形一通を加藤に交付した。

右認定事実によると、本件約束手形は、控訴会社の会計係加藤実が、控訴会社名義の手形を振り出す権限はなかつたとはいえ、控訴会社代表取締役の出張不在中授与されていた小切手振出の権限を越えて控訴会社代表取締役の記名捺印を代行する方法によつて控訴会社のために振り出したものといわねばならない。

二、そこで、被控訴人主張の表見代理の主張について判断する。

(証拠)を総合すると、「控訴会社は従前高橋健が高橋工業所の商号をもつて個人で冷却、冷凍、冷暖房装置の設計、据付工事等を営んでいたものを、昭和三五年四月一九日株式会社に改組し右高橋健が代表取締役に就任したものであるが、社員の構成(社員は約一五名)ならびにその担当も個人企業時代と同一で会社経営の実態は前後異なるところはなかつた。前記中国工業株式会社は右高橋健の個人企業時代に高橋工業所から断熱保温工事を請負つており、控訴会社設立後も同種取引を継続していたところ、右取引の衝に当つていた中国工業株式会社の取締役中尾吉次は、右高橋工業所との間の請負代金の前渡をうけるために当時同じく会計係として経理事務を担当していた加藤実が作成発行した高橋工業所振出の金額四〇〇、〇〇〇円と一〇〇、〇〇〇円の約束手形を加藤実から受取つたことがあり、右各手形と本件手形とは振出人名義が高橋健から控訴会社にかわつたほかは外見上の記載様式は同一であつたし、また、右中尾が加藤に対し本件手形の振出を依頼した際、控訴会社代表取締役高橋健は不在であつたけれども、加藤が格別右代表者に内密に本件手形を作成振り出すような態度は、全然見受けられなかつたので、中尾は加藤が控訴会社の会計係として本件手形を控訴会社代表取締役に代つて振り出す権限があるものと信じてこれを受けとつた」ことが認められ、前掲証人加藤実の証言中右認定に反する部分は前掲中尾吉次の証言と比べて信用できない。右認定の事実関係によれば、本件手形の受取人である中国工業株式会社において、控訴会社の会計係加藤実が代表取締役高橋健に代つて本件手形を振り出す権限があると信ずるにつき正当事由があるものといわねばならない。

もつとも、(証拠)によると、中国工業株式会社は高橋工業所および控訴会社のいずれからも、本件手形の場合を除いて融通手形の振出を受けたことはなく、また、控訴会社設立後は日が浅かつたため前記取引代金決済の方法として手形を受け取つたこともなかつたことが認められるけれども、一方、(証拠)によると、本件手形の振出当時、中国工業株式会社は控訴会社に対し本件手形金額におよそ見合う請負工事契約を結び右工事を施行中であつたため、控訴会社の右加藤も右工事代金債務との相殺決済も可能と考えて本件融通手形の振出に応じたことが認められるので、本件手形と高橋健の個人企業時代に請負工事代金の前渡のために振り出された前記手形との間には実質上さしたる性格の相違はないものといえるし、また、当審証人加藤実の証言によると、加藤実は本件手形振出当時二五才の若年者で控訴会社の社員席次は下位にあつたことが認められるが、前認定のように、控訴会社は従前の個人企業と経営上の実態に変りのない小規模の会社であつて、加藤は高橋工業所時代から引き続き控訴会社においても会計係として経理事務一般を担当していたのであるから、中国工業株式会社の中尾吉次が右加藤に本件融通手形を控訴会社代表取締役に代つて振り出す権限があると信じたことに過失があつたものとはいえず、他に前認定を左右するに足りを証拠はない。

三、次に控訴人の悪意の抗弁についてみるに、本件手形は前認定のように控訴会社が中国工業株式会社に金融を得させるために振り出した融通手形であり、控訴会社は中国工業株式会社から同額の見返り手形を受け取つたものであるが、控訴人主張のように、中国工業株式会社の中尾吉次と控訴会社の加藤との間で、本件手形は中国工業株式会社が支払の責に任ずるもので、前記見返り手形が支払われないときは、控訴会社は本件手形の支払を拒絶できる旨の特約があつたことを認めるに足りる証拠はなく、また、(証拠)を総合すると、被控訴人は中国工業株式会社に対して売渡した断熱材の炭化コルク板代金合計四〇五、一〇〇円の支払のために本件手形を右会社から裏書譲渡を受けたことが認められ、右認定に反する原審証人中尾吉次の証言は前掲諸証拠と比べて信用できず、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はないから、控訴人の悪意の抗弁は理由がない。

四、そして、被控訴人が本件手形の所持人としてこれを前記満期に支払場所に呈示して支払を求めたところ、支払を拒絶しされたことは、当事者間に争がないから、控訴人に対し本件手形金四〇〇、〇〇〇円およびこれに対する満期後である昭和三五年八月一日から右完済まで手形法所定の年六分の割合による利息金の支払を求める被控訴人の本訴請求は正当であつて、これを認容した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから、これを棄却。

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